原稿が!!!!!進まない!!!!!!!!!

3月にも同じ状態に陥って「この原稿が終わったらもう二度と本なんて出さねえ…ぜったいにだ…」とか言ってた気がします。人はなぜ同じようなことを延々と繰り返すのか……バリ島あたりに飛んだらなにか答えが見つかる気がするので誰か連れて行ってほしいものです。
原稿進んでないのになぜこんなチラシの裏のらくがき以下な文章を書き連ねに来たんだって話なんですが、頭ごちゃごちゃしてる今こそ徒然なるままに脳内言語化したほうがよいのでゎと思い立ったということにでもしておいて下さい。いろいろありすぎたゆえのガス抜きです。いろいろあったのです。ほんとに。
以下、ただの日記なので読まなくていいです。


遡ること6月中旬、昼夜問わず泣き通して思いっきり体調を崩すという面白体験をしました。あんなに泣いたのは物心ついて以来はじめてな気がします。わたしの涙腺、ちゃんと機能してたんだなって少し安心すら覚えました。いつもブルーライトに晒してごめんな、眼球。
なんでそんな事態になったのかだいたい察しはつくとは思いますが、説明するのもアレなのでまあ人生を揺るがすレベルのサムシングがあったとだけ記しておきます。それに出会う以前まで自分がどうやって生きてきたのか思い出せないほどの衝撃を齎してくれた旅でした。衝撃が強すぎて正気がどこかに吹き飛んだきり戻ってこないのが心配ですが、わたしの正気は忠順なのでそのうち帰ってくるでしょう。ていうかいい加減帰って来てください。

いろいろありすぎた6月を経て7月………7、がつ…………?記憶がほとんど無いのが不安ですがまあ4月5月の記憶もないので些事です。些事。良い言葉ですね。諦観と寛容を併せ持っている感じがとくに。今後もし生類に名をつける機会があるならば些事と名付けたいくらいにはすきな言葉です。そう、すべては些事なのです。実家周辺が冠水したり人間不信に拍車をかけるような出来事があったりしましたがどれもこれも些事なのです。些事ですとも。気にしてません。これっぽっちも。実家は多少心配でしたが、とくに直接の被害はなかったようです。人間関係は元より問題しかないのでそれこそ些事です。怨みはしますが。

8月。つまりは現在進行形の物事。
原稿が おわらない(ふりだしにもどる)
こればかりは些事とはいきません。誰ですか同時進行しないと〆切に間に合わないようなスケジュール組んだのは。
原稿がおわらないのはいつものことですし自分の頑張り次第なのですが、自分ではどうしようもない悩みが積もり積もって精神が草臥れている、というのが今直面している問題です。6月中旬のあれそれを乗り越えたら心晴れやかにいられると思ったのですが、問題が肥大する一方でした。要らん問題も降ってかかるし。
自分ではどうしようもないこととは、つまりはまあ他人です。他人をどうこうしようと思うほど幼稚ではないですが、向こうがその気でこっちに向かって来たり不可侵領域を踏み荒らしたりされると困る、という話です。オブラートをひっぺがして言うと、一方的な感情を向けられたうえにそれの見返りを求められたり、自分が打ち込んでいる物事を軽んじられたり、すきなものを貶められたりするとさすがにわたしも包丁構えちゃうぞということです。無論、それを行動に起こすほどアグレッシブでも考えなしでもないですが。包丁構えるのって牽制の意味合いが大きいですしね。本当にやる気なら相手が悟るより先にグサッといくでしょうし。牽制してるのに無理にどうこうしようとするから揉み合いの末にグサッといっちゃうのです。刑事ドラマとかサスペンスドラマとかでおなじみのやつです。素直に自首すれば情状酌量とかあったろうに変にうまく隠蔽しちゃったのを1時間で暴かれるパターンです。
閑話休題
まあ、雑に言えば精神に余裕がない時に限って問題は湧いて出る、という話です。こうやって文字に起こせば、解決はせずとも些事と思えてくるのでやはり文字は偉大ですね。コミュニケーションよりも可視化することにこそ言葉の本質はあるのだとさえおもえます。まあ、意味なんて人それぞれが勝手に持っておけばいいものなのでわたしは勝手にそう思うことにします。自己完結だいじ。他人の感情などわりと気にせず、されど秩序は守りつつ。ゆるゆる生きていきたい所存です。

素振りのようなもの

徒然なるままにひぐらし硯に向かえるほどの集中力も忍耐力も文章力も私にはないのですが、それを培うためにやるンだッ!という天命が降りたのでゆるりと更新していこうと思います。


実を申せば、文章を書くと云う行為は苦手な質なのです。
小説ならば幾らでも書けましょう。登場人物と、それを取り巻く世界とを文字に書き起す作業は、表現力の及ばなさに歯噛みする事はあれど、非常に好ましく感じられるのです。
夏の夜の、雨のにおいを含んだ空気だとか、
日に焼けた木棚が放つ、微かな甘い香りだとか、
風に靡く髪が、黄昏を反して煌めく様子だとか、
そういうものを書くのは殊に好きなのです。
けれど、そこに私の主観が入ってしまうとてんで駄目なのです。私の矮小な視界に切り取られた矮小な世界を描くのは、どうにも窮屈なことに思えてしまって、白紙を前に幾ら頭を捻ったところで陳腐な言葉しか綴れないのです。


とまあ、もだもだと書いてはみましたが、要するに文章を書く練習です。自分の思考を言語化する訓練とも言えます。
Twitterに飼い慣らされているので、如何に伝えたいことを140字に纏めるかという技術はそこそこ身についているのですが、ゆえにこそ文章を膨らませる脳が微塵もないのです。レポートとか苦手も苦手です。日頃自分の興味のある分野にしか思考を割いていないのがいちばんの原因なのでしょうが。Twitter廃人、ここに極まれりといった惨状を打破しなければならぬのです。
兎にも角にも、現状打破のためには只管書くべしと心の中のおやっさんも竹刀を構えているので、わたしもセルリアンブルーのリングに立ったつもりで頑張りますとも。


もうひとつ、漫画の現実逃避に書いている小説の現実逃避の場という背徳極まりない動機も存在します。
経緯をつまびらかに明かせば、

漫画描く

コマ割りが下手

プロット組み立てよう

プロット組み立てるのも下手

もう一旦小説で書いた方が早いなこれ

表現力が皆無になってるな!?

文章力をつけよう←イマココ!

とまあ、うん……そんな感じの……理由で………
いえ、わかっています。当初の目的から明らかに離れているということは。
けれど、脳内の小人が申すのです。去年の今頃書いた小説とかレポートの方が格段に面白いよね、と。今年入ってから書いた文章、磨き上げた大理石の廊下が如く駄々滑ってるよね、と。
ならば、失われた文章力を取り戻さねばなりますまい。物語を組み立てるうえで必要ですからね、文章力。面白い漫画を描くには面白い文章書くスキルも必要ですからね、たぶん。一先ずそういうことにしたのです。現実逃避などではないのです、メイビー。


漫画と小説をかきつつなので更新速度はナメクジもびっくりの歩みになるとは思いますが、そこは愛嬌ということで。